【報告】分科会2「人を監視するってどういうこと?」


このグループの対話内容は、ブログで以下のようなことを提起していました。

共謀罪法案の議論で指摘されていることに、実際にことを行なえば犯罪に問われることを、2人以上で話し合ったり、相談したりして、わずかな準備をしただけで「犯罪」として罰することができるわけだが、問題は、2人っきりで話し合っている内容をだれが、どのようにして知り得るのか、ということをあげることができ、密室などで2人っきりで話し合っている状況で内容を知るためには、おそらく部屋の中の会話の盗聴や特定の人物を監視しなければ知ることは到底無理ではないかということで、権力によって「監視される」という立場だけをとらえるのではなく、自分たちも日常の中で主体的に人を「監視する」というようなことをしていないのか、そのような気持ちがめばえたことはないのか、そんなことをリアルに探りながら、「わたし」と「監視する」との関係もさぐっていきたいと思います。

また、人が人を「監視する」ことのメカニズムや心理がみえてきたらという思いも抱きながら、「監視するってどういうこと?」を提起しました。
この対話集会の主旨は、共謀罪法案からみた問題を法的・専門的な視点から語り合うものではないということでした。

対話は、価値観や考え方が異なる他者と向き合い、その違いを認め、質問や意見をくりかえしながら、互いに新たな価値観を創造していく、そんなことにアプローチしていく話し合いです。

しかし、この時期、共謀罪法案に関心をもった方や反対する方が反対するために、語り合いたいと参加されることも想定していたので、法的な観点や反対するための主張合戦に陥らずに対話を成立させるために、進行役(筆者)から「わたし」と「監視」の関係から対話したいという主旨を説明しました。



まず、最初に、「あなた自身が、日常の中で『もしかして監視されているなあ』と感じることと、「もしかしたら人を監視したかもしれないなあ」と感じることを、ポストイットに前者を赤色、後者を黄色の紙に書き出してもらうことから始めました。

それを模造紙の右半分、左半分に、それぞれを張っていってもらい、自己紹介がてら、そのシチュエーションについて、具体的にシチュエーションとそのとき、どう感じたのかを説明をしていってもらいました。



 [監視されたと感じたシチュエーション]
  • 自分のSNSを見た知人が、「(今日)どこどこに行く予定なんですね、わたしも行きたいです」と言ってきたとき。
  • 職場の上司やプロジェクト先で、(評価のために)いつも仕事ぶりを見られている気がする。
  • ネットの検索履歴は監視されている気がする ・Googleなどで(検索していると自動的に)商品案内のDMが届いたとき。
  • (町中の)監視カメラを意識したとき。
  • 銀行のATMのカメラで見られているとき・コンビニのカメラは、万引きを疑われ見張られている感じがする。
 [監視したかもと思うシチュエーション]
  • ある知人のSNSの自分についての表現が時々誤解して書かれているので、常にチェックしてしてしまっているとき。
  • 電車の中で他人のスマホを見てしまうとき。
  • (学校で)生徒の個人情報を管理しているとき。
  • 家族の後片付け等をちゃんとできているかできていないかをみて、指摘したとき。

このようなことがでてきて、それぞれ他の方のケースを聞いて気になったことについて話してもらいました。

また他にも個人の体験がでてこないかを話し合ってもらいました。

この間、参加者同士が、なぜそれが監視なのか、どういうところを監視だと感じるのか、など質疑応答もされ始めました。

このとき、私から国語辞典での監視の意味「警戒して見張ること、例文として、火山活動を監視する」を一応話してみたところ、監視のイメージについて、少し違った意見があがってきました。

それは、火山を監視する、自然災害を警戒して監視するの場合の監視は必ずしもネガティブなものではないものもある、また家で仕事をするお母さんが、赤ちゃんの動きをカメラで監視するのは、どちらかというと「見守る」というニュアンスがありそうだということもでてきました。

つまり、必要な監視も考えられるというものでした。

それに対して、ある女性参加者は、
「だからこそ、人が嫌がるような、個人の自由を侵すような監視こそが問題なのではないか」

「だから、共謀罪で問題だと指摘されているような、為政者や体制側が、市民を統治する、管理するために行なわれる監視が問題なのではないか」
という意見がでてきました。

また学校教員をしている男性参加者は、
「学校の場では常に生徒に事故や非行が起きないように、ある意味監視とも見守りともいえる行為をしていると言えます。対話していて思ったのは、テストの際、教員は生徒の後ろにいて全体をみて不正が起きないかどうかみているのです。これなど、生徒は後ろをみることはできませんが、教員は後ろからひと目で全体を見回せるポジションにつき「監視」しています。もしかすると、「問題」となる「監視」は、このような、効率的に人の行為をみまわすことができることではないか、という気がしました」
という興味深い意見がでてきました。

そして、私の方から、「自分の中にある、人を監視する際の動機や人が自分を監視する際の心理や論理はどういうものなのか」を話し合ってもらいました。

参加者から、個人の中にある人を監視したい動機や心理に対して、いろいろ意見があがってきました。

そして、それらをまず、ホワイトボードに箇条書きで書き出していき、これらをみながら、参加者同士で再度話し合ってもらったところ、参加者で、以下のように整理がされていきました。
  • 自分がよくわからないものへの不安のあらわれではないのか。
  • 異質なものに対する不安、排除する気持ちがあるのではないか。
  • 未知に対するものへの恐れではないか。
  • 見知らぬ相手のことをどんな人物なのか知りたいという欲求なのではないか。
  • 相手のことをコントロールしたい、支配したいということなのではないか。
  • (組織の立場としてなにか起きぬように)使命感や責任感から行なうものではないだろうか。


このようなことを話している中で、時間はあっと言う間に過ぎていき、最後に今回の対話でなにか新たな発見や気づきがあったかどうかを尋ねてみました。
  • 「共謀罪そのものについて、話し合える会かと思った」
  • 「もっと、共謀罪との関連で話しをしたいと思いましたが、自分の中にある監視する心理や論理を考えるきっかけとなってよかったです」
  • 「じつは学校現場で共謀罪などのテーマを生徒と話し合ってみたいと思っていたのですが、どうしたらいいか迷っていましたが、個人のなかにある「人を監視する」や「人から監視される」ことを考えるというのは、とてもいい視点だと感じました」
  • 「話し合ってみて共謀罪法案に限らず、日常の中で監視の問題性は常に考えていないといけない重要性を感じました。また、わたしたちの日常の中にある、人を監視したい心理や動機、また見守りとも通じるような必要なものがあることも理解しておくことは、為政者や体制側が市民を監視(管理?)したい意図があるとき、このような市民の心理や論理を見越して監視の必要性を主張してくるかもしれないと考えると、それを理解しておかないと対抗する論理や言葉をもてないのではないかと思いました」
法的な観点からの議論も、もちろん大事なことですが、今すぐその知識を持ち合わせていなくても、自分自身の体験や、日ごろ考えていること、感じてること、他者の意見や考え方を受けとめながら、共謀罪のおける重要な案件である「監視」のようなことでも考えていくことができるのだなと私自身も改めて学べた次第です。
ファシリテーター 八尾浩幸(デモクラシー・カフェ@東村山


【分科会2】監視するってどういうこと?

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